午前3時ごろ、風邪の症状悪化でおきる。
寝れやんし、病院行ったほうがええかと思い、エポスカード の自動付帯の海外保険を使って病院紹介してもらおうと、電話した。
スムーズにいっていたとおもいきや、インド来る前に常備薬として少し薬をもらいに行ってたことをうっかり言うてしまい。今回は保証はないとのこと。うーん。。。
つぎは楽天カードに電話する。スムーズに話がいく。診察料は建て替えで日本で帰ってから請求するみたいだった。
とりあえずもう少し寝ることにした。。
7時前に起きる、確かホテルのブレックファーストが7時からだったので服を着替えて、ホールへ向かう。
ちょっとしたビュッフェスタイル。
カットフルーツ、ヨーグルト、カレー、チャパティ、ホットケーキ、ホットコーヒーなどが並ぶ。
インドに着いて初のカレーだった。昨日の夜は食べに行く余裕もなく、日本から持ってきた『イワシの味噌煮』
SOYJOY・ココナッツサブレ。
非常食がインド着いて1日目でなくなるとか、追い込まれすぎ WW
話を戻し、カレーはかなりあっさりで後からピリリとくる辛さ。チャパティにつけて食べる。美味しかった。
部屋に戻り片付けてチェックアウト。
ホテルはニューデリー駅らへんでした。とりあえず歩こうとコンノート・プレイスの方に歩いて行く。
途中、反対側から走って来たオートリキシャに声かけられ、ここまでも何人ものオートリキシャに声をかけられたが乗らずに来たけど、このまま歩き続けてもしょうがないように思えて来たし、病院も行きたいし。
indraprastha Apollo Hospitalまで行って欲しい。
ここの病院は外国人窓口があり、日本語が通じると。地球の歩き方とレビューを頼りにここにする。
日曜日と言うこともあったのか、スタッフも少ないし、英語が話せないから伝わらない、、google翻訳で話して、明日来てと言われたが、明日はこれないと行ったら違う病院紹介された。
もういいわ!と思いやめて観光することにした。
まずは病院の近くにあった、クトュブ・ミナールと複合建築群
クトュブ・ミナールはインド最初のイスラム王朝である、奴隷王朝(1206)〜(1290)の初代皇帝、アイバクがヒンドゥー教徒に対する勝利を記念して建てたもの。
柱にはイスラム教のコーランが刻まれる。
ミナールとはモスクのミナレット(礼拝の時間を知らせる呼びかけをするところ)の意味になる。
ぎゅっと近くに見所が集まっていて、見応えがありました。
デリー観光くるとき必ず見た方がいいかも。
次に行く途中にドラッグストアによって欲しいとgoogle翻訳を見せるが通じず。
ドライバーは路肩に止めて通りすがりのお兄さんに通訳を頼んでいた。
そうや!!思い出した!!ファーマーシーや!
そうゆうと二人ともOH!ファーマーシー!
お兄さんにセンキューと言うと頭をクイっと傾けながらウインク。かっこよすぎ。
インドのYESのジェスチャーが頭を横に振る、傾ける。
NOが縦にふる。
日本と真逆でずっと悩まされることになる。と言うよりこっちがYESでうなづいてしまうから伝わっているか不安になる。
インド門は通過したのみで写真取れず。
agrasen ki Baoli アグラセン・キ・バオリ
井戸の周辺を構造物で囲った階段井戸のこと。
いろんなところに階段井戸はあるみたいでその中でも美しいものの一つ。
井戸の周りをこんなにおしゃれにする発想がすごくない?
もういつまででも見てられる。。。。
かなりに人がいましたが外国人と言うよりインド人のカップルとか友達同士とか。
ちょうど昼ぐらいでレストランへ
コンノート・プレイスにある『SANDOZ RESTAURANT』
とりあえずマトンカレーとガーリック?のナン頼みました。
マトンカレーはあまり水気がなくマトンの肉がゴロゴロ入っていて、しかも柔らかい。デリシャス。
ナンもいまいち何が入っているかわからないけど、香ばしくこれだけでもいけそう。
写真右上にある紫の物体は玉ねぎで、容器の両サイドにドレッシングみたいなもの。
よくわかりません。
最後にデザートは?と勧められ、日本語でデザートはなんて言うの?と聞かれたので
『お菓子』と教えときました。
日本人の方が行かれましたら言われるかもしれません。
O〜KA〜SHI〜って。。。。。。
次にジャマー・マスジッド
オートリキシャが入れないようになっていたので、少し歩きます。
通りには露店が並んでいたり、物乞いがいっぱいいたり、僕が行った時はこれまたすごい人でごった返す。
入り口前で靴を預け、カメラ持ち込みRs300払います。
そしてインチキくさいおじさんが頼んでもないのに誘導。
無視しても割り込みするからエグい。
こっから写真撮るにはいくら払えとかあれ全部嘘です。取られましたけど 笑
ジャマー・マスジッドはイスラムの休日である金曜日にイマーム(導師)が説教を行う集団礼拝が行われる。
次はラール・キラー
タージマハルを築いたムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーン(1639〜1648)が、ヤムナー河のほとりに建築した優雅な城塞。
赤砂岩の城壁と門をもつことから『レッド・フォート(赤い城)』と呼ばれる。
写真は『ラホール門』これを抜けるとチャッター・チョウクと言うマーケットが広がっている。
両替したいと言うたら、ホテルみたいなところへ連れて行かれ、日本のヤ◯ザ映画にでもありそうな裏部屋みたいなところに連れて行かれ、怖そうなおじさんたちの中に座らされた。
ドライバーが説明して、
一万円両替、レートは最低やけど、シャーない。
細かい札が欲しいというのが伝わらず、
Rs500札ばっかりだと、色々めんど臭いので
Rs100札を五枚欲しいと言う意味で『スモール・スモール』
『ワンハンドレット』といい手で五枚と表示。わかってくれた。
ラージ ガート
独立に父と言われるマハートマ・ガンディーの墓。
南アフリカで弁護士をする傍ら、公民権運動に参加し、帰国後にインド のイギリスからの独立運動を指揮した。
ゲリラ戦や暴動の形でなく、非暴力、非不服従を提唱した。(無抵抗主義ではない)
そして、1948年に極右青年により暗殺される。遺灰はヒンドゥーの作法によりインド各地の河に流された。
この日の夜から、バラナシに向かうため、ニューデリー駅へ。
最後、ドライバーにお礼を言うて、How mach?というと「As you like」みたいな。。
いくらでも、気持ちで、、みたいな意味?
とりあえずRs500渡してみた。そしたらメチャメチャ怒ってきて、他の周りにいたオートリキシャドライバーらが集まってきた。
その中のひとりが、
Rs2000やってくれないか?と
最初から言うてくれたらだすちゅーの!
相場がマジでわからんし、これがこの旅の最大のトラウマとなりボラれ続けることになるとは、本人は知らない。。WW
鉄道は日本から予約していきました。
IRCTCのアカウント作り、HPから直接外国人枠になるが、予約。
12560/SHIV GANGA EXP
NEW DELHI (NDLS)18:55出発
MANDUADIH(MUV)6:50着
2A
インドの列車は遅延が激しく定刻で出発はほとんどないと来ていたので、特に焦らず15分ぐらい前に駅のホーム行ってみると、、、、
もう来とるやないかーいもうインド わからん、、、
何が遅延やねん、、前のめりで着いとるやんけ。。
汗かきながら席探し、はじめての寝台列車どーなるのか。。。。。。